Hello,(Parallel)World.

 Instagramは魔境だとつくづく思う。

 あそこのおすすめ欄というのは、自分が今まで閲覧した投稿のハッシュタグ等から関心が高いであろうと分類されたものがカスタマイズされお出しされている。ついウッカリ”自然派”な投稿を見てしまった暁には、キャベツを乳に張るだのよくわからんものを発酵させて食べるだの、そんな投稿ばかりが目につくようになり、自分が酉島伝法のるん(笑)の世界にいるかのような錯覚に陥り目が回ってくる。関心を持たなければ、偶然触れなければ交わらない世界が、一寸先のインターネットにはゴロゴロ転がっている。ここがパラレルワールドなのだ。

 

 パラレルワールドということは、つまり自分が過去いた世界に再び出会うこともある。夢小説界隈である。インターネット老人会の末席を汚している身分として往時は夢小説の世界にいたわけだが、まさかここで再び相見えるとは思ってもみなかった。ナウでヤングなロリポップサーバーとか、フォレストとかの個人サイトだったじゃん。とうとうInstagramはSFへと突入した。

 あの頃の気持ちを思い出したくて読んでみるが、いまいち記憶が戻ってこない。どれを読んでもまあ夢主があまりにも頼りないのだ。熱を出せばすぐに恋人に連絡をする、寂しくて縋っちゃう、抱きしめてほしい、エトセトラエトセトラ……。ひとつ読む度に言いたい事が無限に出てきて困ってしまう。一人暮らしなら発熱くらい自分ひとりで対処できるようになりなさい、依存先はいくつか分散させなさい、ギュッとして抱きしめてほしいことを訴えるのはシャボン玉を歌ってるときだけでしょう、エトセトラエトセトラ……。

 よく考えなくても、彼らは些細な事でもわがままでも全て包み込んでくれるような愛にときめきを感じており、そのパッションを創作にぶつけているだけなのだ。もしかしたら当時は自分だってそういうのを見てキュンキュンしてた側だったかもしれないのに、それを忘れて現実的な事しか想像できない人間なんて、真に住む世界が違うのだ。

 

 今のところ、私は新天地にある古巣を観察しては新時代のニュータイプを探すことを楽しんでいるが、やめるタイミングは特に考えていない。関心がなくなれば、この世界は私の目の前から姿を消すだろう。

極彩色の自意識

 今日のやりたいことリストに「はてブロをつくる」と書いてしまったのでブログができた。この2023年に。何もかもが三日坊主で終わりがちなので、手を替え品を替え自分の脳を騙しながら続けられたら嬉しい。

 

 今年に入ってから短歌集を読むようになった。昔はそんな短い文章なんてわざわざ買って読むかねぇなんて思っていたが、今はもうこれだけの文字数で表現したい事が伝わるんだから十分だよなと考えが改まった。

 私は社会人になってもう暫く経っており、段々と拗れた自意識が透明になってきているような感覚になっていたが、ふとした瞬間(例えば、自分よりいくらか若い人の瑞々しいお気持ちを読んだ時)に透明だと思っていたそいつが急に極彩色になって暴れ出す事がたまにある。そういう時にすっと入ってくる一首に出会えると、奴は静かに大人しくなってくる。本屋に跋扈する自己啓発本は勿論、長く美しい物語でもこうはならなかった。

 

 えずく程苦手だったタイ料理が、就職してから突然好物に変わったように、内向的だと思っていた自分の性格が今は外交的になっていると知ったように、短歌を読むようになったのも、きっっとそういうタイミングだったのだと思う。身体に栄養が足りてません、みたいな。こういう喜びを今年はちょっと多めに拾っていけたら嬉しい。